26話 海
「夏だ、海だ、ビキニだー!」
「女なんていないやん。現実を見いひんと」
「ちぇー。何が好きで野郎の裸なんて見なきゃいけねぇんだよ」
「まぁ、折角来たんだから。楽しもう」
それは、今日の朝。クーラーで冷やされた心地のいい部屋で横になっていた時だった。ドタバタと激しい足音が近付いてくる。足音が止んだと思ったら勢いよくドアの開く音がした。
「葵!海!海行こうぜ」
眠たい瞼をこすり、ボサボサの髪のまま返事をする。
「人が気持ちよく寝てたのに…」
「もう8月だぜ?遊ばないでどーする」
ふと紫がいないのに気付く。
「紫は?」
「あれ?どっかいったな」
2人でドアの方を見ているとカツン、カツンと金属音がした。紫の足音だろう。茅秋が開きっぱなしにしたドアに小さな手が見える。その瞬間紫が現れた。
「おー、遅かったな」
「遅かったな。じゃないやん!こっちは慣れない義足なのにいきなり走り出すから死ぬかと思ったわ…」
紫の足を見ると普段折られているズボンは下まで下がり、両足とも靴を履いていた。チラっと見えるその左足は銀色の塗装が見える。それはきっとオセリーのチカラだろう。
ギャンギャン怒る紫を抑え、茅秋が振り向いていい笑顔で言った。
「で、行くだろ?海」
という訳で海に来ることになってしまった。
一言で海、と言ってもここも学院の領地。一体どれ位の広さなのか、学院の端っこまで辿り着いた者はいないという。
もちろん、学院の中なので男しかいない。何故男子校にしたのか不思議に思うことがある。撓に聞いたことがあるが、学院の七不思議の1つらしい。
辺りを見渡しても目に入るのはよく鍛えられた腹筋。腹筋。腹筋。こんな俺でさえ女の子の身体が見たいと思うくらい腹筋だらけだ。
レジャーシートを敷き、パラソルを立てる。
そして俺達は海へ走る。
「やっほー!!!海だァ!!!」
「ァーーーー涼む…」
小さい子供のように無邪気にはしゃぐ2人を見て思わず笑みが零れた。俺も一足遅れて2人に向かって飛び込んだ。
「あー楽しかったな」
「もう夕方とかありえへんわ」
「夜になったら危ないから帰らないと」
1日中泳ぎっぱなしで疲れ切った身体を動かし、寮に戻る途中だ。
スラムにいた幼い頃、海に行くのに憧れた時期もあった。しかし、俺のような奴が海でゆっくり遊べるはずもなく、海に入ったのは初めての事だった。
2人が誘ってくれたのが嬉しくて、ハメを外しすぎてしまったかもしれない。
「いやぁ、楽しかったなぁ。初めての海」
「せやなあ、楽しかったやろ?な、葵」
「へっ!?」
前を歩いていた2人が振り返りざまに突然言った。
「え、なんで俺…」
「教室でずっと海の記事見とったやん。行きたかったんやろ?」
「お前の事だからどーせ初めてだろうし、楽しませてやろうと思ってな」
「お前ら…」
にっこりと笑っている2人に俺も笑顔で返す。きっとこの海での思い出は一生忘れないだろうと、そう思った瞬間だった。
夜。今日撮った写真を眺めていた。本当に今日は楽しかった。写真の中の俺達はとてもいい笑顔をしている。大袈裟かもしれないけど、俺はなんて幸せなんだと思った。
今日の余韻に浸っているといつまでも寝れなそうなので寮のベランダで涼もうと部屋を出た。
その時、1人の寮生とぶつかった。室内にも関わらず帽子を深く被っていて、顔は見えない。帽子から覗くオレンジの髪がとても印象的だ。男子にしては華奢な体格だなと思ったが撓や紫だって細いなと思うとそんな不思議には思わなかった。その子はごめんなさい、と一言言って早足にかけて行った。
ベランダに行くと茅秋と紫もいた。皆考えは同じで、寝られなくて涼もうとしたみたいだ。その後話し込んでしまい、結局今夜は寝られなかった。